育休先生。

「イクメン」という言葉がなくなる日を目指して。

まずは大人があるべき姿を見せてこその、『主権者教育』。

 先日の解散総選挙の余韻がなお残るこの頃。これまで選挙の度に思ってきたことを、ただひたすら、つらつらと書きます。子どもに『主権者教育』をする前に、大人がそのあるべき姿を見せなければならないと思うのですが。

 

<目次>

 

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「一票の放棄」=「責任の放棄」では

 政治家に対して、「もっとしっかりしてくれ」「なんでもっとこうしてくれないのか」という様々な街の声をよく耳にする。子育てや税金、安全保障に憲法など、一人一人が気にかけている項目は違うだろうが、誰しもが現状に何らかの不満や不安を持っているに違いない。

 

 そこで驚くのが、低すぎる投票率だ。今回の解散総選挙に至っては、およそ2人に1しか投票に行っていない53.68%。もちろん、身体的・物理的な事情で投票に行けない人もいるだろう。それでも、2人に1人が「行きたくても行けない人」だとはとても思えない。

 

 しかし、「一票を放棄すること」=「責任を放棄すること」ではないだろうか。

 

 そもそも「政治家」という人達は、ー彼ら全員に崇高な理念があるかどうかは別としてー、地域や団体の『代表』だ。代表というものを、ボクは「一人一人に代わって活動してくれている人」だと捉えている。

 その考えに基づくと、自分では何も変えようとしないくせに政治家に対して “上から目線” で物を言う人に、かなりの違和感がある。

 誰かが「もっとしっかりしてくれ」「なんでもっとこうしてくれないのか」という思いを抱いたのなら、その人がやればいいハズだ。自分で選挙に立候補して政治家となり、世の中を変えていけばいい。

 

 でも、ほとんどの人はそうしない。あたかも「誰かにやってもらって当たり前」と言わんばかりに。

 そうして「自分がやる」という選択肢を外したのであれば、せめて「代わりにやってくれる人」は責任を持って選ばなければならない。それが、多くの人にとっての「投票することの責任」だと思う。

 

 

小学校の学級会でも同じ

 今回の解散総選挙における18、19歳の投票率は、それぞれ50.74%32.34%だったそうだ。

 せっかく若くして政治に物を言えるチャンスを得たのに、全体の平均を下回るなんて非常にもったいない。まだ18歳の方が率が高かったのが、せめてもの救いだと思う。

 

 昨年度は6年生の担任をしていたので、3学期の社会科では政治を扱う機会があった。そこでボクは、彼らに投票に行くことの大切さを口を酸っぱくして伝えた。

 

 例えば、こんな風にである。

 学級会って、よくやるよな。イベントで出すお店の内容とかクラス遊びのルールとかを、みんなで決めたことがあったね。

 そこで、自分はアレがしたいとかコレがしたいとか色んな意見を持ってて、一生懸命発言して、みんなに賛同してもらうために頑張ったとしよう。

 そして、いよいよ多数決のとき。ドキドキして周りを見ていたら、何人かが喋ったり遊んだりボーッとしたりして、手を挙げへんねん。賛成か反対かも分からへん。どう思う?

 

 すると子ども達は、「話聞けよ、って思う。」「全員の意見が揃わな、話し合いを終わられへん。」などと言う。

 

 そうやんな。つまりそれが、「投票をせえへん」ってこと。

 クラスの問題やねんから、全員にちゃんと考えて話し合いにも参加して、それぞれの意見を表明して欲しいよな。

 じゃあ、さらにその手すら挙げてなかった人達が、後になってお店の内容とか遊びのルールに対して文句を言って来たとしたら、どう思う?

 

 「いや、有り得へんやろ!」「そのときに言わんかったのに、後になって言うとかセコいやん。

 

 「投票」はあくまで権利やけど、ホンマにクラスのことを考えてるなら意見も言いたくなるハズ。それに、「投票」すらしていないくせに後になって文句ばかり言うのも、おかしいよな。

 だから、もし君達が18歳になって「投票権」を手にしたら、自分達の生活をどうしたいかよく考えて、必ず投票に行って欲しいです。

 

興味深いコラムを読んだ

 10月6日付の朝日新聞で、作家の中村文則さんが寄稿された大変興味深いコラムを読んだ。

 あいにく最近の小説に全く興味がないボクは、作品どころかお名前すら存じていなかったのだが、「投票することの大切さ」をユーモアを交えて分かりやすく解説されていたので、以下に記載する。

 

 (前略)最後に、投票について。こんなふざけた選挙は参加したくない、と思う人もいるだろうが、私達はそれでも選挙に行かなければならない。なぜなら、たとえあなたが選挙に興味がなくても、選挙はあなたに興味を持っているからだ。

 現在の与党は、組織票が強いので投票率が下がるほど有利となる。彼らを一人の人間として擬人化し、投票日の国民達の行動を、複眼的に見られる場面を想像してみる。

 「彼」は、投票日当日のあなたの行動を固唾(かたず)を飲んで見守っている。自分達に投票してくれれば一番よいが、そうでない場合、あなたには絶対に、投票に行かないでくれと願う。あなたが家に居続けていれば、よしよしと心の中でうなずく。

 結果、投票に行かなかった場合、「彼」はガッツポーズをし、喜びに打ち震えワインの栓でも抜くだろう。こんな選挙に怒りを覚え、ボイコットしている国民に対しても、「作戦成功」とほくそ笑むだろう。

 反対に、野党は投票率が上がるほど有利となる。野党の「彼」は、当然あなたに選挙に行って欲しいと固唾を飲んで見守り続けることになる。有権者になるとは、望んでいなくてもつまりそういうことなのだ。(後略)

 

 「たとえあなたが選挙に興味がなくても、選挙はあなたに興味を持っている」とは、言い得て妙だ。政治家の思惑を、的確に言い表していると感じた。

 

「政治的中立」など有り得るか

 最後に、この話題。しばらく前から、ずっと引っかかっていた。あらかじめ自分の考えを述べておくと、政治的中立など有り得ないと思う。

 

 生徒から「先生はどう思う?」と聞かれたときに、手本となるべき大人として考えをハッキリ言えるべきだし、そもそも何らかの考えを持つためには日頃から情報と知識を蓄えておかないといけない

 「あ…ごめん、先生は自分の意見を言ったらあかんねん。でも、君の意見は聞かせて。」などと言う教師を見て、どうして自分の意見を言える子どもが育つだろうか。

 

 もちろん、子ども達への伝え方は非常に重要で、できる限り賛否両論が提示されるべきだろう。例えば、「先生はこう思ってる。でも、反対にこういう意見もある。君は、どう思う?」というように。

 また、教師が考えを述べる前に先に子ども達に考えを持たせる、というのも有効だろう。先に大人の考えを聞いてしまうと、それこそが正解だという印象を与えるかもしれないからだ。

 

 全ての話題について、教師が自身の考えを述べる必要はない。ただ、意見を求められたときには堂々と述べられる大人でありたい。

 

 子ども達を侮ることなかれ。彼らは常に教師の一挙手一投足に注目し、発言を吟味し、信用するに足る大人かどうかを判断し続けている。

 彼らはきっと、教師の考えに納得したり心を動かされたりしたときはその言葉を大切に持ち続け、受け入れられないときは上手に聞き流すといった判断を、自分自身で下すだろう。

 

 もし一人の教師の意見が影響力を持ちすぎると言うなら、隣のクラスの◯◯先生や保健室の△△先生の意見も聞いてみるように促せば良い。「◯◯先生は憲法改正に賛成って言ってたけど、△△先生は反対らしいで!」と様々な意見に触れながら、子ども達自身が考えを固めていけば良いと思う。

 

 『主権者教育』の根幹は、自分で考え、自分の意見を持ち、それを他者に表明することだ。その土壌作りのために、まずは大人が政治についてオープンに語るのを避けるのではなく、「子ども達と一緒に考える機会」をたくさん作っていくことが大切だと思う。