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育休先生。

「イクメン」という言葉がなくなる日を目指して。

教師として考えさせられた、中学生の投稿記事。

 先日、朝日新聞で目にした中学生の投稿記事。「先生の計画 乱しちゃダメ?」というタイトルのその内容に、教師としては少々考えさせられました。

 

まずは、その記事をご覧ください

  5年前の道徳の授業での体験です。あるスポーツ選手のインタビューについて、話し合う授業でした。先生は授業のプランとして、インタビューについて補足説明をして、私たち生徒が賛同した意見やインタビューの内容から、どのように日々の生活に役立てるかを話し合うようにしたかったのだと思います。

 賛同できる内容はありました。でも、どうしても納得できない部分がありました。それは、信じる心が自分の未来を拓くという内容に対し、疑う心も必要だと思ったことです。言わないで授業を終えることもできました。でも、私はそれを発言したのです。

 話し合いの場だから、反対意見もあっていいと思ったし、あったほうが授業の内容がもっと深まると思ったからです。ですが、私の発言を聞いた先生は、私の意見がなかったものにするかのようにサラッと流してしまいました。

 先生からすると自分のペースを乱される都合の悪い発言だったのかもしれません。でも、私にとっては大きなことでした。だから、今も心に残っています。授業とは先生の思い通りになればなるほどいいものなのでしょうか。

 

自分も同じようなことをしてしまっているかも

 この投稿者は4月時点で14歳と書いてあったので、5年前ならおそらく4年生の頃でしょうか。非常に考えのしっかりした子だな、という印象を受けます。

 

 これを読んで、少しドキッとしました。もちろん、子どもにこう思われてはいけないな、と授業のときはいつも意識しています。

 特に理科社会科などの授業では、子どもの疑問から身の回りの自然現象時事問題などの話題に発展していくことも多いため、個人的には『脱線』からの『余談』という流れを大切にしています。

 ただ、教師になってみて分かったのですが、小学校の毎日は本当に時間が足りません。各教科とも、1コマ1コマ「今日はここまで進もう」と計画して進めていかなければ、決められたカリキュラムを一年間で終えることはとてもできないのです。

 

 そんな中で想定外の発言があったときに、ついつい時間ばかりを気にして軽く流してしまう可能性は、自分にだって大いにあります。でも、教師としては、その時その時の子ども達の興味・関心を掬い取って、上手に授業に取り入れていくスキルを有しているべきですよね。授業のライブ感というか、『(なま)』という要素を最大限に生かすことが大切だな、と思います。

 

投稿者の中学生へ

 あなたは、とても賢い人なのでしょう。それゆえ、「先生の思い通り」がどの道なのか、計らずも気付いてしまうようです。

 でも、だからと言って、それに倣おうとして変に『空気』を読む必要は一切ありません。そのときは残念ながら受け止めてもらえませんでしたが、「反対意見もあっていいと思ったし、あったほうが授業の内容も深まると思ったから」という考え方は、大変素晴らしいものです。

 カリキュラムが決まっていて、それに合わせて授業を進めていかなければならないのは集団学習の欠点ですが、その反面、たくさんの考え方や価値観に出会えるという利点もあります。

 「周りと違う意見を持てること」、そして、「それを恐れずに発言できること」は、あなたの立派な個性であり強みです。これからも、自分なりの考え方を大切にしてほしいです。