育休先生。

「イクメン」という言葉がなくなる日を目指して。

自分自身の話。その3「震災発生当日の夜〜転職活動開始」

 2017年4月1日より開始した、この「育休先生。」というブログ。少しまとまった時間が取れたので、自分自身について書くことにしました。現在の仕事に就くまでの変遷や、育児休暇を取得するまでの過程をお伝えできたらと思います。

 

<目次>

 

 その2はこちら↓↓↓

ikukyusensei.hatenablog.com

 

震災発生からの数日間

2011年3月11日〜15日 25歳(社会人3年目)

 彼女はその日、松戸市内で働いていた。電車は止まっているので車で迎えに行くことにしたのだが、道路は大渋滞。4km進むのに5時間かかったので、断念した。彼女は、職場の数人とともに夜を明かすことになった。

 翌12日の朝、無事に迎えに行くことができたのだが、彼女が岩手県に住む両親と連絡が取れないという。地元の親戚や友人に連絡を取ったが、手がかりすらない。テレビやインターネットの避難所情報に名前が載っていることを願い、片っ端から手分けしてチェックしていった。

 そんな状態が続き、ついに親戚から「◯◯避難所にいた!!」という連絡が入ったのは、震災発生から4日後の3月15日のことだった。しかしその連絡は、「自宅は津波で流された」、そして「叔父さんが亡くなった」という情報もセットだった。

 

少しずつ変わっていく心境

2011年3月下旬 25歳(社会人3年目)

 千葉市内では、計画停電を実施中。コンビニからは、おにぎりが消えた。海浜地区では液状化でそこらじゅうのマンホールがせり上がり、幹線道路の左車線はガソリン渋滞で埋まっている。昼夜を問わず続く余震のおかげで、揺れが来る直前に地中深くで鳴る「ゴッ」という鈍い音に反応して、自然と身構えるようにもなった。

 ボクにとってはそれだけで「自宅待機」となるには十分すぎるように思えたが、会社の様子は驚くほど日常的だった。計画停電中だというのに普段通りコーヒーメーカーを使ってモーニングコーヒーを嗜む先輩に、無性にイライラした。

 千葉市内は揺れこそ大きかったものの、津波とは無縁の地域。かたやボクには、彼女を通じて被災地の切迫した状況が耳に入って来る。震災の受け止め方は違って当然だったのだが、そのときのボクにはそうは思えなかった。

 物資の不足などで、相変わらず病院はバタついていた。会社は「様子見がてら行って来い。」などと言うが、営業活動はどう考えても疎ましがられている。それもそうだろう。非常事態に「この薬、良いですよ。」なんて話は、聞きたくないものだ。

 

転職を決断した瞬間に考えたこと

2011年4月 25歳(社会人4年目)

 ボクは、医師ではない。看護師でもなければ、薬剤師でもない。でも、おこがましいことかもしれないが、医薬品に携わる者としてどこかで「医療従事者の端くれ」だと思っていた。それが、「非常事態においては、不必要な仕事なのだ」と打ちのめされた。

 いや、正確には、きっと微力でもできることもあったし、当然そのときは自分なりに探してもいた。しかし、それ以上に虚しさばかりが募っていった。

 隣では、彼女の実家が流された。彼女の親族は亡くなった。初めて、「死」を身近なものとして意識した出来事だった。自分も明日、死ぬかもしれない。いや、今日、死ぬかもしれない。そんなときに自分は、この仕事をして人生を終えるのか。考え始めた。

 

 「モノを売る」ことなら、もっと向いている人はいくらでもいる。自分だからこそできる仕事って、何だろう。自分らしさを生かせる仕事って、何だろう。

 そこでふと思い浮かんだのが、いつぞやに諦めてしまっていた「小学校の教師」という仕事だった。

 「小学校の教師」として担任になれば、そのクラスの子ども達にとって自分はたった一人の先生。自分がこれまでに学んだことや感じたことも、伝えていけるだろう。これしかない、と思った。

 

転職に向けて動き出す

2011年5月 25歳(社会人4年目)

 さて、いざ「小学校の教師になろう!」と思っても、自分は教員免許を持っていない。調べてみると通信制の大学というものがあって、働きながらでも免許を取得できることが分かった。

 しかし、すでに4月からの新年度は始まっている。「うわ、1年後か…。」と絶望しかけたのだが、なんと10月からの秋入学が!しかも、4年制大学の卒業資格があるため3年次編入ができ、さらに最短で1年半で免許が取得できるらしい。ということは、上手くいけば2013年4月から教師として働き始められる。そこで、都内の大学の説明会に行くことにした。

 すると、1点だけ気になるポイントがあった。来年の10月から4年生扱いになると、1ヶ月間の教育実習に行かなければならないという。加えて、多くの場合は遅くても10月頃までで、母校(ボクの場合は大阪)で行うのが一般的らしい。

 

 …会社は9月末で辞めて、そこからの半年間は貯金でやりくりしよう。大まかな計画が決まった。

 

 その4はこちら↓↓↓

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