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育休先生。

「イクメン」という言葉がなくなる日を目指して。

自分自身の話。その2「就職活動〜東日本大震災発生の瞬間」

 2017年4月1日より開始した、この「育休先生。」というブログ。少しまとまった時間が取れたので、自分自身について書くことにしました。小学校教員という仕事に就くまでの変遷や、育児休暇を取得するまでの過程をお伝えできたらと思います。

 

 その1はこちら↓↓↓

ikukyusensei.hatenablog.com

 

 

その時はいろいろ考えたつもりだった、就職活動

2006年10月 20歳(大学3年生)

 初めは、根っからのテレビ好きだからという短絡的な理由で、マスコミ業界を目指す。

 しかし、就職活動が進むにつれて「なくてはならないものを売りたい」という考えが固まっていき、化粧品や医薬品業界に絞っていく。同時に「一見(と書いたのは、その1で触れた通り『 " 隠れ " 卑屈な思考』だから)社交的で、外に出るのが好きな自分は、きっと営業に向いているだろう」と思い、最終的にはMR(Medical Representative=医薬情報担当者)という職種に就くことになる。

 

民間企業で、社会人としてのスタートを切る

2008年4月 22歳(社会人1年目)

 入社後、埼玉県さいたま市の営業所に配属される。担当は、医院や中小病院などの比較的小さな施設。主な仕事は、施設の医師や薬剤師に、医薬品や疾患の情報を提供すること。

 手段としては、単純に施設へ出向いて目当ての人物に声をかける『訪問』の他に、施設の医療関係者を前に自社製品をPRする『説明会』や、ホテル等の会場に医療従事者を集めて自社薬品の関連疾患に関する情報提供を行う『講演会』、そして、(今は金銭授受の透明化を進めるためにほとんどなくなったそうだが)『接待』などの方法があった。

 

少しずつ感じ始めた『違和感』

2010年 24歳(社会人3年目)

 働き始めて2年が経った頃から、少しずつ医薬品の営業という仕事への違和感を抱くようになる。その理由は、大きく分けて2つあった。

 1つめは、「売るために何かをするのが苦手」だと気付いたから。昔から自分は、気を利かせて相手に何かをしてあげて、「ありがとう」と言われるのが好きだった。だから、「売る」という結果を求めて何かをしている自分が、すごく嫌になってきた。

 2つめは、「処方される医薬品の選ばれ方」がおかしいと感じたこと。医薬品とは、信頼性の高いエビデンス(証拠)の集積によって存在し、本来は個々の患者さんの病態に合わせて適切に使われるべきものだ。それなのに、医師はときに「◯◯会社の△△さんはよく顔を出してくれるから。」などの理由で、使う薬を選ぶ。データ上は、それよりも効果の高い薬が別に存在するにも関わらず。

 そんな薬の使われ方をした患者さんがそれを知ったら、どう思うだろうか?

 

2011年1月 24歳(社会人2年10ヶ月目)

 同じ支店内の、千葉県千葉市の営業所に異動。埼玉の頃よりは少し大きな病院を、主に担当するようになる。

 

人生を変えた東日本大震災、発生

2011年3月11日 25歳(社会人3年目)

 忘れもしない2011年3月11日(金) 14時46分、ボクは15時から面会ができる医師に会うため、千葉市内のとある病院の近くにいた。少し早くに着いたため、近くのコンビニに入って1、2分したときだった。カタカタ…という軽い揺れがグラグラになったかと思うと、10秒後にはグラン、グランになり、棚の商品が「ガッシャーン!」という音とともに落ち始める。ボクを含めて店内に10人ほどいた店員と客は、気付けば一斉に外へ走り出ていた。

 これは只事ではないと、ボクは車に戻ってラジオをかけた。どうやら東北の方を震源とした、大きな地震が起きたらしかった。

 10分ほどして少し気持ちが落ち着くと、「…病院に行けば、テレビが見られる!」と気付いた。移動中も、余震で車が大きく揺れる。病院に着くと、入院患者を1階に下ろし始めたところで、大混乱。ロビーのテレビを見ると、先ほどのラジオよりは少し詳しい情報が流れていた。震源は東北沖で、津波の心配があるようだ。

 そうしてしばらくテレビを見ていたボクの目に飛び込んできたのは、津波仙台空港を飲み込んでいく、信じられない光景だった。思わず「こんなん映画やん…。」と呟いたのを、今でも覚えている。

 

 極めて私事だが、その4ヶ月ほど前からお付き合いをしていた岩手県出身の女性がいた。彼女との出会いが、東日本大震災自分が体感した以上に大きな出来事だった」と教えてくれることになる。

 

 その3はこちら↓↓↓

ikukyusensei.hatenablog.com